お家のことを勉強するブログ

アール津からのお便り

労働感


日本と西洋の違いは、働くことの宗教観と言われます。


日本では、働くということは、自らを高める修業的な要素があり、働くことによって神様のように崇高な存在に近づくことができるという感覚があります。


西洋では、基本的に働かなくても良い暮らしができる。自分は何もしなくても、のんびりとできる世界が極楽と考えます。
「働く」ことが罰であり、いつか全人類が働かなくても生きていける社会を作ろうと考えてきた歴史があります。


それは定年退職者の表情をみても、欧米の退職者は「自由を手に入れた!これからやりたいことをやるぞ!」という感覚に満ちていると聞きます。


それに対して日本の退職者は、皆に惜しまれつつ退職し、退職後は特にやることがなくなり、自分を高めるために何かすることはないか?
と探してしまうほどです。
世の中から求められない存在にあるということが許せなく、それは働くことを通じて自分を高めるという機会を失ったと感じるのです。
独特の寂しさを感じます。


アール津で働くパートナーには、「常に自分を高めるための挑戦をせよ」と叱咤激励を飛ばします。
仕事ができる、できないの前に、その意欲が旺盛でなければここで働く意味は無いとさえ言いきっています。
(コーディネータは、いつもお客様に、体は大丈夫?と心配されていますが…)
自分を高め、人に必要とされてこそ生きる意味があると思うからです。


またひとつひとつのステップを駆け上がるからこそ、見えてくる世界があり、それはどうせ同じ時間を過ごすならば、少しでも多くの世界が見えた方が楽しいからです。


西洋でも徐々にですが求めるものは変化していると聞きます。


産業革命後、機械化により労働から解放されはじめたにも関わらず、人々の暮らしはますます非人間的なものになっていったからです。
このことにモリスやラスキンといったデザイナーは怒りました。


「やっぱりみんなで協力しながら、魂のこもった良いものをつくり、同時に自分自身が熟練していくことに喜びを感じるべきだ」


と唱えたのです。
これは日本における労働観と似ているように思いますよね。


ラスキンの有名な著書「この最後の者にも」に書かれていることですが、


「最も裕福な国とはどんな国なのか?」


それは、「豊かな人生を生きた人々を沢山抱えている国」だと結論づけています。
その豊かな人生を生きた人々とは、
「その人格、あるいは所有物を使い、他人に対してとてもいい影響を与え続ける生き方をした人」だと定義づけているのです。


自分にできることを通じて他の人に何かいいことをし続けることができた人の人生こそが、最も豊かな人生だと言うわけです。


そう、私たちがつくりたい「人生が豊かに変わる家」のヒントになるような気がします。それが家につながる影響についても後日に書きますね。


(参考文献:コミュニティデザイン3.0と2050年の豊かさ)







■施主様ブログも好評です。
http://lien-house.com/


■「完全予約制」お客様との信頼関係の証!お客様の住んでいる家全棟公開中
ご予約はコチラ→http://form1.fc2.com/form/?id=758792


■「完全予約制」賢い家づくり勉強会・トータル資金勉強会
ご予約はコチラ→http://form1.fc2.com/form/?id=758792


R+houseで家を建てなければいけない必要はありません。私たちのことを信頼できると思って頂いたときに、ご相談して頂ければと思いますので、匿名でも結構です。お気軽にご参加ください。
お客様の意に沿わないアンケートや押しかけ営業、電話攻勢は一切ございません。